高齢者ヘイトと社会の闇:私が感じた日常の小さな瞬間から考える

思ったこと、日常

今日、食べ物屋さんでランチをしていた時のこと。

トイレに立った際、高齢女性2人(推定80代以上)の以下のような会話が聞こえてきました。

「娘がさ~、お母さん早くあの世へ行ってと言うのよ。」と。

横を通っただけなので話の流れはわからないけれど、この方のお嬢さんは冗談でこのようなことを言ったのかもしれないし、高齢女性が友人に話を脚色して喋っていたのかもしれません。

いずれにせよ、それを聞いた私は深く考えこんでしまったのです。

最近、SNSなどで高齢者に対する酷いヘイトを見る機会が増えたから。

正直、私自身も高齢の方に対して「どうしてこんなに話がわからないんだろう・・・早く引退して!!」とか、いろいろ毒づいてしまったこともあります。

それでも、自分がその年齢になった時、同じように若い人に酷くヘイトされることを考えると少し怖くなりました。

ちなみに、高齢者を酷くヘイトしている人は、自分の親に対しても同じように思うのでしょうか。

それも置かれた状況によるのかもしれません。

ちなみにヘイトという言葉の意味をgoo辞書検索すると、「憎むこと。」「反感を抱くこと。」「憎悪。」と出てきます。

ようは、自分から見て受入れがたいことへの悪い感情のことです。

今回、高齢者へヘイトが向けられているのを見ただけで、何も高齢者に限った話ではありません。

会社でもヘイト運動のようなものは起きるし、普段、生活をしている人間関係の中でもヘイトは起こりえます。

ヘイトが起こる背景には、自分がそのヘイトを感じている先から何等かの実害があったり、不満を抱いていたり、単純に好みじゃないということもあるのかもしれません。

ただ、自分が比較的幸せな状態、満たされた状態である場合、わざわざ他人に目を向けてヘイトをしようなんて気は起きないのではないでしょうか。

そのように考えるとヘイトが起こる場合、人の心の状態が大きく関係しているように思います。

ひと昔前だと、ここまで酷い高齢者ヘイトを目にすることはありませんでした。

社会問題は、物理的な部分だけじゃなく心も蝕まれていくものなのかもしれません。